
思いがあれば、
3倍の努力は当たり前だ
(熱く生きる、天野篤)
必要とされていると思えないから、
ここを去る。
愛されていると感じないから、
この人とは別れる。
最初は思い入れがあったのに、
そういう決断を
しなければならない状況は、
とても残念なことでしょう。
しかし、もしかしたら、
自分の思い通りに
うまくいかないから、
あきらめているだけかもしれない。
たとえば、
愛というもの。
いつもいつも、
「自分は愛されているか」
と考え、相手を見ていたら、
相手は、おそらく、うんざりする。
それに、そんなふうに見ていたら、
間違いなく、
「愛されていない」という兆しや
証拠を見つけるに決まっている。
人間誰しも100%の余裕をもって、
人を愛し続けることなんて出来ない。
もちろん、それは相手の事情。
じゃあ、「愛」に対する自分の見方は
どうか? それで正しいのか?
そもそも、愛というのは、
「愛されているか」と試すものか?
私は、分からないなぁー。
ただ、試しすぎていたら、
きっと、壊れるような気がする。
本当に「思い」があるなら、
ひたすら努力してみるしかない、
って時もあるんじゃないかなぁ。
仮に、自分の思いが離れているなら、
「愛されていない」なんて騒がず、
私には「愛し続ける力」がないと
認めたほうが、気楽だ。
また、そこから始められばいいだけ。
(参考)熱く生きる(天野篤)