
分からない中で
やり続ける鈍感さというものも、
時には必要だよね。
やっぱり外野の声に左右されない
「鈍い強さ」みたいなものが必要。
(インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ、小林弘人)
分からない中で
やり続ける鈍感さというものも、
時には必要だよね。
やっぱり外野の声に左右されない
「鈍い強さ」みたいなものが必要。
(インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ、小林弘人)
恥ずかしいを知らないから、
遠慮なく聞くことができる、
ということがあります。
同じことを何度も何度も
人に話したり、
バカなことを平気でやったり...
そして、人それぞれで
恥ずかしいと思うことが違う
という事実から考えると、
それは、人の何を笑うか、
(あるいは、人の何をバカにするか)
みたいなことにも通じそう。
それと同じポイントについて、
自分のことも恥ずかしがる。
だから、そう見えないように
全力でがんばるという感じ。
そういうことが多いほど、
生きづらいし、
少なければ少ないほど、
きっと気楽に生きられる。