ダイエットの福音について

ダイエットを忘れさせるダイエット

ダイエットは、自分探しの旅だと思う。食べることを忘れられる自分を探すこと。ダイエットしなければいけない状態になるというのは、ほとんどの場合、一口で1キロ太るものを10日間食べたせいで、なんてことはない。カンタンな話、消費する分量よりも、食べる分量の方が多かった(食べ過ぎの)毎日の積み重ねというのが実態のはず。

そして、食べ過ぎの状況をつくっているのは「自分」なのだから、そうならない「自分」を探せばいい。どういう状況でなら、自分は食べることを忘れられるか。そういうことを考えると、この自分探しは、けっこう楽しい。食費節約のためを思えば忘れられる人、浮いた食費で欲しいものを買うと思えば忘れられる人、スポーツをしていれば、映画を見ていれば、本を読んでいれば、恋人のことを思っていれば、仕事をしていれば、子供たちと遊んでいれば、歩いていれば、釣りをしていれば、などなど色々なことがあるでしょう。とにかく、そんな忘れられる自分を探し、そこに福音の言葉を重ね合わせて、心を平安にすることができたら、ダイエットはもう少し楽になると考える。

とりあえず、無期限から解放してあげる

いつまで、ダイエットしなければならないのか?ずーっと死ぬまで、ダイエットしなくちゃいけないんだよ、と言われたら、 だいたいの人は、「やる気」を失ってしまう。たしかに、それが事実だとしてもだ。 「とりあえず、2週間だけ、ちゃんとがんばってみよう。それが出来たら、好きなものを食べてもいいから。ダイエット中に食べたいと思ったものを、ひたすらメモしておこう。」 こんなスタイルもあるだろう。

苦しい「罰」みたいなダイエットは、自分ひとりで戦う時には無理である。病院または施設にでも入って、管理状態の中でなら、その罰みたいなダイエットに耐えられるかもしれないが。(というか、強制されるだろうから)

食べたいという気持ちから自分を解放することも必要だが、苦しいダイエットをがんばらなければいけないという気持ちからも、自分の心を解放しなくちゃいけない。前述の例でいえば、2週間の間に、食べたいメモには、たくさんの食べ物の名前が書かれるようになるはず。「今さえ、がまんすれば、あと○日後には、好きなだけ食べられるんだから。」そういう精神的な満足は、永遠に続くように思ってしまう精神的な苦痛に勝るものだと思う。

急ぎたい気持ちから解放してあげる

健康的なことをダイエットするというよりは、外見を気にしてダイエットをがんばろう、しなければいけないな、っていうケースの方が多いだろう。健康的な理由に比べると、ある意味、衝動的なものだと思う。だから、 時間をかけずに、さっと痩せよう、急いでやせようという考えをもたらす。そして、そういう考えは、だいたいにおいて、無理なダイエットを生み出す。

無理なダイエットは、体に必要な食事量に対して、かなり下回るものだけで済ませようという感じで始まる。これまで食べてきた量の何分の一で生活しろ、と体に強要するわけですから、ふつうは、心も体も悲鳴をあげる。苦しいに決まってる。1日、2日くらいは、がまんできるかもしれない。 精神的に強い人は、 1週間でも、できるかもしれない。 しかし、その後は、どうなるか。1日の生活に必要なエネルギーさえ、事欠くようになり、体が強烈に、食物を求めるようになるのが当たり前。また、体重の方も順調に減っていく時期があるものの、必ず、停滞時期に入ってしまう。

そこを乗り越えても、そこで挫折しても、精神的なバランスが崩れる可能性は大きい。 精神的なバランスが崩れたら、ダイエットは、うまくいくわけがない。ダイエットを意識しすぎたダイエットになれば、忘れられるわけがない。「外見を気にして」のダイエットは、急ぐダイエットに走るダイエットになりやすい。急ぎたい思いは分かるが、自分の心を思ったら、急ぐダイエットは避けた方がいい。

「無期限な苦痛」「急ぎたい衝動」からも、福音は助けてくれることでしょう。

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