自己喪失の病

タイトルからして、いかにも「共依存」っていう本です。

あなたのためなら死んでもいいわ: 自分を見失う病「共依存」 、水澤 都加佐

以下に、引用します。

なぜ、自分が肩代わりしようとするのでしょう。その背景にあるのは、一体何でしょうか。その人の生い立ちだけでなく、生まれ育った国や地域の文化、職業的な使命感、あるいはさまざまな問題や病気をもつ人から受ける影響が考えられます。協調性を重んじる日本においては歴史的に、共依存の行動は問題とされるどころか、「いい人」「人格者」「優しい人」「私利私欲のない、立派な人」と評価されることも多く、そのことが問題を複雑にしています。本人はつらくても、周囲の評価が自己肯定感を高めてしまうため、行動を変えることが難しいのです。

多くの共依存症者は、相手がむきあうべき問題なのに自分が何とかしなければならない、その責任が自分にあると考えます。あるいは、何とかできるに違いない、と。しかしそれは思い違いです。そのことに気が付かないと共依存からの回復は困難でしょう。

介護や看護、医療などにたずさわる人にとっては、職場で接する相手に問題があるかもしれません。およそすべての人間関係において、共依存を生む環境があるのです。

相手の世話をせっせと焼き、愛情深く接しているつもりが、そのことが結果的に状況を悪くしてしまう。ときには、献身的に助けることで、相手から常に必要とされたいと思う。けれど心のどこかでそれはよくないことだとわかっている...。こういう行き場のないつらさが、自分を、そして相手をも苦しめています。

共依存は「自己喪失の病」と言われます。幼いころから問題や病気に自分自身を支配され、本来の自分らしさを置き忘れてしまった人がなりやすいのです。

依存症の専門家すら「本人が底をつかなければ何をしてもダメだ」とあきらめにも似た言葉をつぶやくことは少なくありません。底つきとは、生活が破綻し、周囲から見放されたどん底の地点です。あとは這い上がるしかないというぎりぎりの状況に一度はならなければいかんともしがたい、というニュアンスがそこに含まれています。それほど依存症の世界は過酷なのです。

周囲が意識と行動を変えない限り、本人はアルコールやギャンブルなどから脱しようとしません。

依存症は病ですから、周囲が誤ったかかわり方をすれば、回復は遠のきます。放っておくだけでは解決しませんが、飲酒やギャンブルによって引き起こされる問題の後始末をし続けていたのでは、状況は悪化する一方です。現実を知り、学ぶ機会がないまま、愛情からひたすら依存症を助けていると、病は進行してしまうのです。やがて助ける側は疲れ果てて、燃えつきるかもしれません。生きているのも嫌になってしまうことさえありえます。健康だった心が、いつの間にか怒りに支配され、厭世観、自己否定感や無力感、みすてられ不安でいっぱいになります。その結果、いつの間にか当人と同じような考え方と感情と行動、人間関係のありかたを身につけていってしまうのです。

自分の外側に存在するもので心を満たすことは、しょせんできないと胸に刻みましょう。心にあいた穴を埋めることができるのは、あなた自身です。

「あなたがいてこそ、私の人生」という人がいますが、「あなた」がいなくとも、「私」の人生は存在しているのが本当です。

現実は起こってしまったので変えることはできませんが、受けとめ方を変えることは可能です。

負の気持ちを植えつける言葉をもっと現実に則した言い方に上書きし、自分自身に対して言い続けてみるのが効果的です。

---引用、終わり---

自己喪失の病、という言葉が出てきました。
その昔、私は「共依存」という言葉があることを知らず、
自分で「自他同一障害」という言葉を作っていました。

まさしく、
自己喪失の病=自他同一障害、
という感じに、重なる言葉に思えます。