教えるべきときとそうでないときがある。

教えるべきときとそうでないときがある。

(スティーブン・R・コヴィ)

教えるべき時は、
明らかにわかると思う。
相手が好奇心や興味を持っている時がそれだ。

しかし、人は誤ってしまうことがある。
相手の好奇心や興味が
いつまでも続くと思って、
「また、今度ね。」「そのうちに…」
と延ばしてしまう。

教えるべきでない時は、
どうだろう…?

理解の力がまだ弱いとき、
精神的に余裕がなくなっているとき、
双方に信頼関係がないとき、
そんなところかな。

教える側は、そういう相手の状況を
見極めて、対応する知恵が必要だと思う。
もし、そういう様子が見えているのに、
何の工夫もなしに続けることは、
時間のムダになってしまう可能性も多い。

じゃあ、学ぶ側において、
自身に不足を感じた場合はどうするか。
その場で気持ちを入れ替えることが出来るなら、
間違いなく、それがベストだと思う。

また、日程を置き換えて変更出来るなら、
そういう調整が必要な時もあるだろう。

私は、何かしら教える立場になった時に、
そういう様子を見て、準備するようにしている。
教える内容に、どれだけの難易度があって、
どの程度のボリュームがあるか、
それに耐えられるかを確認するのだ。

ま、そんな調整の出来る内容だから、幸いだが…

ただ、すべてに言えるのは、
教える前に、ウソはいけないんじゃないかな。

注射をする前の我が子に、
「痛い?」と聞かれた。
「うん、痛い。少しの間だけ。」

そうすれば、子どもは、目をつむるなり、
顔をそむけるなりして、
痛みを学ぶ心構えをしていたもの。

そして、教えるのは、その瞬間だけでなく、
その前から続いており、
その後も続くことを忘れてはいけない。

【参考】
「情」の管理・「知」の管理(童門冬二)


人生の短さについて(セネカ)

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