「どうして、誰も何もしないんだろう?」
そう思っていた。
あとで、その理由が分かった。
私も、その「何もしない誰も」に入っていたから…
(作者不詳)
不平、不満というのは、
ふつう、自分以外にはよく言える。
やっぱり…
私もそう。
でも、よくよく考えてみると、
その不平、不満の対象とした人たちの中に、
自分も「傍観者」として加わっている場合も
あるんだよな。
誰も何もしない、
誰も助けてくれない、
誰も理解してくれない…
その「誰も」は、微妙な存在。
「自分がしなくて、誰がする。」
不平、不満を言うくらいなら、
そういう気概を持って
生きていける瞬間があってもいいね。
そういうわけで、
心に残っている言葉です。
(英語)
I wonder why somebody didn’t do something.
Then I realized that I am somebody.
原文は、こんな英語。
英語にちょっと詳しい人は、
somethingでなくて、anythingじゃないの?
と思うかもしれません。
多分、訳があって、somethingにしたのでしょう…
そもそも、微妙な存在である
誰か(somebody)に期待したり、
誰か(somebody)に責任を負わせること自体、
的はずれなのかもしれません。
【参考】
成功哲学(ナポレオン・ヒル)