問題が何か分かれば、
問題は半分解けたことになる。
しかし、本人が問題と思わなければ、
その人にとって問題は存在しない。
だから、問題がないと言うことが、
「問題だ」という場合もある。
(作者不詳)
問題だ、問題だ、と騒ぐだけで、
何も進展しないことがある。
それは、本質を見ることなく、
いろんな手を下している時と、
本質を見て、それが分かったのに、
何の手も下せない時だ。
ま、手を「下せない」ケースと、
手を「下さない」ケースの2つが
あることも認めよう。
前者は、ガンで言えば、
手術を始めてはみたものの、
いろんなところに転移しすぎて、
そのまま元に戻すという状態だ。
後者は、ま、
事なかれ主義の場合もあるだろう。
あるいは、問題と共存することを
選んだとでも言おうか。
問題の解決方法には、
いろいろあって、
人が複雑にからんでいる時は、
スッキリした方法が存在しない
なんていう場合も少なくない。
今の不景気や、政治構造、国際情勢を
見ていると、そんな気がする。
とすると、誰かにとっては、
スッキリした解決方法も、
誰かにとっては、問題と共存することに
なるわけであって、それに甘んじるという
選択をする人間が居てもおかしくない。
それが正しいかどうかは別にして、
そういう人がいないと、
世の中、うまくいかないんだろうな…
どこかに、泣き寝入りとは違って、
問題が何か分かっただけで
それを受け入れる心の広い人がいるから、
問題解決している場合があるかもしれない。
そんなことを考えた。
【参考】
さぶ(山本周五郎)