恨むなら、自分を恨め、自分の欲深さを

恨むなら、自分を恨め、
自分の欲深さを

(映画「少林サッカー」)

この言葉を聞いて、
「だまされた」という言葉を
簡単に言えなくなってしまった…

だました方は、必ず悪い。
間違いなく…

しかし、だまされた方は、どうだろうか?
完璧に白ということはないだろう…

欲深さ、一時の迷い、
いろんなものを含めて、
一枚噛んでいることの方が多いように思う。
ま、私自身、そうだった…

「現代の鬼平」と呼ばれる中坊弁護士は、
様々な訴訟事件を操ってきて、
こう結論づけている。

「一般論で言えば、
 被害者もどこかに落ち度はあるし、
 自らの責任をきちっと問わなければならない、
 反省もしなければならない。」
 (私の事件簿、中坊公平著)

いろんな角度から、
その「だまされた」あるいは「被害を受けた」
とされる事件を検証して、
出てきた言葉であるから、
説得力がある。

仮に、私が自分の被害を
彼の前に差し出したとして、
「そうかぁ、俺もそういうところが欠けていたんだぁ。」
と気づかされる姿が、容易に思い浮かぶ…

友人の誘い、CM、広告チラシ、
いい話、見た目、口コミ…
私たちは、「誘われる世界」に生きている。

自己責任がますます問われる時代、
自分を恨むことなく、
生きられる決断をしたいものです。

【参考】
成功哲学(ナポレオン・ヒル)

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