ひとつの望みをかなえようとしたら、
ひとつ何かを失わなければならないのだ。
きっと、だれにとってもそうなのだ。
(空色勾玉、荻原規子)
砂時計を思い出します。
砂は、時間の経過とともに、
くびれを通って流れていきます。
上の部分で失われたものは、
下の部分では得られたもの…
見方を変えれば、
そういうことなんじゃあ
ないでしょうか。
同じ自分の人生という枠のなかで、
失ったように見えていても、
どこかで得られたものに
変わっているんです。
本当に失うのではなく、
姿が変わって、ちゃんと
人生に居座っている…
私たちが、それに気づかないだけ。
そして、さらに気づけば、
砂時計をもう一度逆さにして、
砂の流れをまた創ることが出来るんです。
本当のところ、
人生で得られるものって、
砂そのものでなく、
その流れのように思います。