人間の値打ちというのは
どこにあるのでしょうか。
それは、ほかに似た人がいない
ということです。
何をしたから値打ちがあるとか、
何かをしないから値打ちがないとか
いうことではありません。
…
たったひとりの自分だから
値打ちがある、と考えればいい。
(不安の力、五木寛之)
これを、自分の変わっている個性に
当てはめると、すごく嬉しくなる。
でも、他人の変わっている個性に
適用するとなると、ちょっと
難しい人も思い浮かんでくる。
ホントに、いろんな人がいるからね。
自分も、他人も、
個性があるということ自体が値打ち。
そう思って、過ごせたら、
かなり心の広い人間に
なれるんだろうけど、確かに。
そういう見方が出来なくなる瞬間が
あるのは、なんでだろう…?
競争社会のせいかな、
それとも、
トラブルなしで安楽に
暮らしたい願望のせいかな、
あるいは、
もともと持っている人間の見栄かな。
おそらく、人生という入れもの自体を
誤解しているのかもしれない。
その入れものには、
様々な人間関係も含めて、
いろんな種類のものが
入り込んでくるはずなのに、
これだけしか認められない、
と勝手に思いこんでいる。
自分に対しても、
他人に対しても…
だから、自分と他人の値打ち、
人生の値打ちを知るためには、
その枠を外すことから、
始めなきゃいけない。
値打ちは平等。そして、
その値打ちのために与えられている
1日24時間というものも平等なんだよね。