少ししか知らない人間ほど、
たいていは、多くしゃべる。
(英語)
People who know little
are usually great talkers.
(ジーン・ジャックス・ロゼー)
この言葉、ちょっと逆に理解したい。
少ししか知らないからこそ、
それを表に出すことによって、
自分のレベルを
確認してみたいというわけだ。
だから、ただしゃべるのではない。
それに対する周囲の意見にも、
ちゃんと耳を傾け、
自分を知ることを忘れないのだ。
そこには、
自分のことが少しは分かっている、
あるいは分かりたい気持ちがあるから。
先日、とある委員の職に推薦され、
行政側から参加を依頼された。
ちょっと面倒くさいな、と思ったものの、
私自身の勉強も含めて、参加した。
行政側から主旨などの説明があり、
それから質問や意見の時間となったが、
ある初老の男性がいきなりマイクをとり、
最初からケンカ腰で話しだした。
それには参った…
よくしゃべる、本当によくしゃべる。
そして、ケンカ腰だから、
相手や周囲の意見を聞く耳など、
どこにも見えない。
不快、その一言だった。
おそらく、私たちの周りには、
おしゃべりさんがたくさんいる。
(多分、私もそう…笑)
でも、おしゃべり自体に、
それほど害はないと思う。
そして、物事を少ししか知らないことも…
最も害があるのは、
「自分のこと」を何にも
分かっていないことだろう。
自分のことを少しでも分かっていれば、
あるいは分かろうとしているなら、
口も動きはするだろうが、
耳も傾けるだろうから。
【参考】
さぶ(山本周五郎)