奇妙な話ではないか!
われわれは外部からの悪には、
…憤慨するけれども、
いつも自分の支配下にある
自分自身との悪とは、
いっこうに闘おうとしない。
(文読む月日、トルストイ)
これは、
マルクス・アウレリアスの言葉を、
トルストイが訳したものだそうで、
(日本語訳も加わっていますが…)
深くナットクです。
何なんだ、あいつは?…
何やっているんだ、政治家は?、
何やっているんだ、アメリカは?
「まず、自分のことをちゃんとやれ!」
そう言いたくなる自分に気づいたら、
そういう自分こそ、ちゃんとやれ!、
と自分に言い聞かせる余裕があったら、
いいかもしれない。
悲しい人間の性(さが)なのでしょう。
そうは思っても、
なかなか難しいです。
ですから、聖書の時代から、
こんな言葉があるんでしょう。
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、
自分の目にある梁(はり)を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、
どうして兄弟にむかって、
あなたの目からちりを取らせてください、
と言えようか。」(マタイ7:2?5)
ルールが増えれば増えるほど、
経験や常識が分かれば分かるほど、
他人をしばるものだと思っていたら、
勘違い…。
まずは、自分のために…
本当に、賢明でありたいものだ。
【参考】
文読む月日、トルストイ