「わたし、幸福になれるかしら」
「それは自分できめなければならない」
(高慢と偏見、ジェイン・オースティン)
幸せになれるかしら?
この答えを、
他人に求めること自体、
変な話かもしれない。
おそらく、
どんな答えをもらっても、
結果的には、
無責任に感じることだろう。
仮に、ずっと共に歩む伴侶に、
それを尋ねたとしても、
結果は同じことだと思う。
幸せになる気もなく、
そのために頑張るつもりのない人を、
幸せにしようという努力を
続けるのは、本当に難しい。
ふつうであれば、
イヤになるはずだ。
そもそも、
幸せのために頑張ったとしても、
「幸せ」になれるとは限らない。
それであるのに、
「幸せにしてもらおう」なんて気分で、
人生の船に乗っている人の面倒は、
神様だって、
やりきれないのではないだろうか。
まして、生身の人間には、
他人の幸せなんて、本当のところ、
なかなか背負えるもんじゃない。
もしかしたら、
「あなたをきっと幸せにする」
っていう言葉も、
正解じゃあないかもね。
幸せは、他人に聞いて、
確認できるものでもなく、
ポンとわけ与えられることでもなく、
おそらく、生きていること
そのもの自体かもしれないんだよね。
【参考】
夕凪の街 桜の国(こうの史代)