愛のなれそめ話は、
それほど大切じゃないのよ。?
大切なのは、
人が愛されるにふさわしくなるよう
生まれついている、ということ。
(英語)
The story of a love is not important
― what is important is
that one is capable of love.
(ヘレン・へイエス)
感動的な瞬間とか、
ビビっとくるシーンとか、
奇跡的な出会いとか、
そんなことを夢見て、
それが叶ったとしても、それは、
その先を保証するものじゃない。
身近を見れば、皮肉なことに、
運命的とか、衝撃的とか、
そんな出会いをしたと
公言してはばからなかった人が、
始まりとは違った人生ストーリーを
歩んでいたりする。
なかには、
「自分が愛されるにふさわしい」
という自尊心すら、ずたずたに
されてしまった人もいる。
愛は予測不可能ということか。
それとも、見る目がなかったのか。
私には、分からない…
「もし、私の願いが正しいなら、
○○で育ってきた、
こんな方と出会えますように。」
とお祈りして、夢の中にまで、
そのシーンが出てきたという
一人の女性を知っている。
そして、実際に、
彼女は、そんな出会いをした。
3年間がんばった…
しかし、苦しみは、出会いから
3ヶ月もしない頃からやってきた。
出会いは完璧に願いどおりであったが、
相手の中に、いろんな欠点が
見えてきたのだ。
そもそも、出会いのかたちまで、
完璧に限定していた彼女の性格から
考えても、ちょっとした欠点でさえ、
ゆるせないのは、容易に想像できた。
それでも、3年は、がんばれた。
なぜか? それをすぐあきらめるのは、
彼女自身が公言した「運命的な出会い」を
否定することになってしまい、
自尊心が傷つけられるからだった。
完璧な出会いとか、なれそめは、
描かない方がいい。描いた自分が、
それに縛られることになる。
描くべきことは、
さらに愛されるにふさわしくなるよう、
自分に磨きをかけていく姿の方なのだ。
心から応援します。
【参考】
マーケティングは愛(高橋朗)