「あの時こうしていたら…」
ということが、
最初から全部できるのなら、
努力も何も必要ありません。
(岡沢祥訓、スポーツ心理の専門家)
世の中には、
「結果」というものがある。
いや、もっと正確に言うと、
何らかの現象を見て、
「結果」と判断する人間がいる。
だから、その「結果」には、
喜怒哀楽がもれなくついてくる。
先日、長女が、
卓球の試合に負けて、
思いっきり泣いていた。
この娘は、小さい頃から、
遊びのゲームでも、
自分が勝てなくなると、
機嫌が悪くなり、
決定的な負けの時には、
泣き崩れるタイプの人間。
それに加え、先日は、
こんな面白い質問もしてきた。
「祈ったのに、負けた。
勝てるよう、
神様に祈ったのに、負けた。
どうして?」
あなたが、子どもから、
こんな質問をされたら、
どう答えますか?
「それはね、神様なんて
いないからよ。だから、
自分の力で頑張るしかないのよ。」
そう答える親もいるかもしれない。
私には、それで、
子どものやる気が出てくるか、
ちょっと疑問である。
すぐ答えようと思ったが、
泣いている最中に、
何を言っても無駄だと思い、
「それは、いい質問だ。
明日まで考えればいい。」
と言うだけにした。
その翌日、私は、
こんなふうに教えた。
「じゃあ、みんなが、神様に
私が勝てますように、って
祈ったら、どうなる?
神様は、誰を勝たせる?
神様が、誰をいつ助けるかは
分からない。だから、
おまえが祈ったり、
考えたりすることは、
自分の全力が出せますように、
というのがいいと思うよ。
そうすれば、心も乱れにくいし…」
なんとなく納得しているようだった。
そのおかげかは分からないが、
その日は、試合に勝って、上機嫌。
このことをよくよく考えてみれば、
何でも祈れば自分の思い通りになる、
という思い込みは、
ある種プラス思考ではあるけれど、
その願う内容によっては、
かえって挫折するように思う。
平和を願う思いからだろうが、
「神様がいるのに、どうして、
世界には戦争があるの?」
という問いかけに、似ている。
下手すると、
「こんな悲惨な戦争がある世の中に、
神様なんているわけがない。」
みたいな結論にもなる。
自分の思い通りの世界でなければ、
すべてを否定してしまうわけだ。
私たちには、分からないことがある。
神様のことも、世界の行く末も、
自分の努力の結果とか、
それは、時間が経たなければ、
決して分からない。
だから、後悔だって、
たくさんありえる。
思い通りだけを描いて、
すぐ挫折するよりは、
事実を見て後悔し、次からは、
どんな心持ちで立ち向かうかを
考えている方がマシなのだ。