答えを知っておきたい問題は
いろいろあるでしょうが、
その問題のまっただ中に
入りこんでいる人は、
そんなこと、考えたり
論議してたりしてないんですよね。
(ほぼ日、糸井重里)
こんな時、どうしたらいいか。
もしそうなったら、どうするのか。
じゃあ、ダメだったら…
何もしない前、あるいは
始めて間もないうちから、
答えを知ろうとすれば、
本質でない議論が始まったりする。
それは、結局のところ、
入りこむ勇気が試されている段階で、
足踏みしているのだ。
足踏みしているばかりだから、
いつまで経っても、
本質について語り合えない。
そして、それを知ることも出来ない。
毎日、何らかの事件の会見が
テレビで報道されていますが、
わざと本質にふれないように
しゃべっている場面も見られます。
そういう他人の言葉には、
「本質でない」ことを見つけられるけど、
いざ自分のこととなると、
目が曇ってしまう私たち。
真っ正面から向き合うというのは、
なかなか大変なんですよね。
知らず知らずのうちに、
私たちの心が、本質でないところに
囚われたりしちゃいますから。
(参考)私の中に答えはあるか(内田春菊)