ゆとりは一種の投資である。

ゆとりは一種の投資である。

(ゆとりの法則、トム・デマルコ)

ここに「ゆとり」というものを
与えた場合、効果が出るだろうか。

そんな考え方が、
時にはヒントになる。

一つの例が、
「ゆとり教育」と言われて
推進されている日本の教育かもしれない。
ただ、これについて言えば、
効果のほどは、少し怪しい…

無理やり作る「ゆとり」は、
時に、別の部分に「きつさ」を
作ってしまうことがある。

ゆとりを作るには、
その代わりに何かを
捨てなければいけないと思う。

ゆとりだけを作ろうとすると、
他の部分を押しのけるだけに
なってしまうから…

モノがいっぱいの家にあって、
1つの部屋を空けようとした時に、
そのモノのいくらかを
外に投げ出さないとすれば、
他の部屋たちがギュウギュウに
なってしまうのに似ている。

「ゆとり」とは、
集めることでなく、
そのために何かを捨てること。

捨てる気持ち、離れる気持ち、
絞り込む気持ちがなくては、
ゆとりに投資したことにはならない。

集めるばかりになって、
さらに「ゆとり」をなくすのがオチだ。

(参考)ゆとりの法則(トム・デマルコ)

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