戦いというものは、あくまで「人」そのもの。

戦いというものは、
あくまで「人」そのもの。

(三国志、吉川英治)

裏方さんからの投稿です。
諸葛亮孔明のセリフだそうです。

今、全米テニスが行われていて、
才色兼備のシャラポワが、
初の決勝進出を果たしました。
注目度がまたアップするでしょうね。

テニスについては、
今でこそ少し分かってきたのですが、
昔は、さっぱり分かりませんでした。

それでも、筋肉ムキムキの、
無敵の女王ナブラチロワの時代は、
記憶に残っています。

その彼女も、今回の大会に
ダブルスで出場しているんですね。
こんな言葉をもらしています。

「今のテニスはラケットの改良が
 進んでつまらなくなった。
 規制を設けるべき。…
 ラケットのおかげで、
 私も10年前、20年前に
 打てなかったようなショットを
 打てるようになった。」

スポーツも、道具(武器)が進歩します。
もしかしたら、人の進歩より速いかも。

ナブラチロワが言った言葉は、
無敵だった彼女が言ったからこそ、
皮肉なジョークみたいで許せますが、

実際は、道具の進歩についていける
人それぞれの「心の強さ」もないと、
結局、使いこなせませんからね。

戦争というシーンに出てきた、
核兵器という武器についても、
人の心がそれに付いていけないと、
敵を滅ぼすどころか、
味方をも滅ぼします。

自国が貧しいという状況においてまで、
そんな恐ろしい武器をもって、
どうするというんでしょう…?

そういうものに頼って、
力を見せかけようとする時点で、
心が負けているんだと思います。
たとえ、それで全世界を滅ぼしたとして、
その後、どうするんですかねぇ。

そんなつもりは最初からない。
交渉のための「道具」にすぎない、
と考えていたとしても、
実際に追い込まれたら、
やけくそになって使ってしまったり
するもんなんです。
「人」って、負けることに弱いから…

(参考)三国志(吉川英治)


人生の短さについて(セネカ)

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