人は時に、健気に…

人は時に、
健気に生きているだけで、
誰かを救っていることがある。

(容疑者Xの献身、東野圭吾)

自分の人生はもう終わりだ、
って思うような瞬間に、

自分よりも
「終わり」のような人が
健気に生きているのを見たら、
ちょっと考えてしまうかもしれない。

考えた後に、
考え直した行動を始めるかどうかは、
その人自身の生きる意欲次第だろう。

行動を始めた人は、
健気に生きていた人に
救われたことになる。

もちろん、
変われない人もいる。

みんなが救われるとは限らない。

救われたい心がなければ、
人は救われないものなのだ。

どんなレベルの生活をしていようとも、
不平、不満のない人生はありえない、
と私は思う。

何かしら救われたい、
ほんのちょっと助けられたい、
と考えながら、とりあえず、
今を健気に生きようと思っている。

そんな生き方が、
誰かにパワーを与えることがあったり、
そんな生き方から、
逆に、パワーをもらったりする。

偉大な生き方である必要はない。
健気な生き方で、十分パワーはある。

(参考)
容疑者Xの献身(東野圭吾)

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