料理を味わうのではなく、
相手の心を味わう。
(傷つくことだけ上手になって、つかこうへい)
わたしは、
心がこもっていれば
どんな料理もうまい、
なんてウソはつかない。
心がこもっていても、
まずいものはマズイ、
と正直に思う。
しかし、
そうだとはしても、
その料理をつくった人の心は、
いくらか味わえるんじゃないか、
と考える。
もしも、
「ここの味つけは、
もっとこうしたらいいと思う」
と言って、素直に勉強しよう、
という態度が見られるなら、
その人の心は味わうだけの価値がある。
そうではなく、
心をこめて作ったんだから、
ぜんぶ食べてくれたっていいじゃない、
なんて当然の態度に出るようなら、
味わうだけの心でなかったということ。
心を味わってもらう、
ということは、
料理はまずくてもいい、
と開き直ることじゃない。
料理に限らず、
人の前に差し出すものについて、
勉強できることは勉強した上で、
最善のものをお出ししたか、
そういう心を持っていたか、
ということだろう。
心を味わう側も、
心を味わってもらう側も、
勘違いしちゃいけない。
勉強する気のない心ほど、
マズイものはない。
自戒もこめて、そう思っている。
No.2513