私たちはだれかが、…

私たちはだれかが、
この仮の場所から
抜け出していくところを
見てみたかったのかもしれない。

自分にしかできないことをして
才能を認められたり、
うんと好きな人に言い寄られて
大恋愛ののち結婚したり、
宝くじをあてて
好きなことしかしない生活をはじめたり、
…そうした先に本来の自分がいるべき場所が
あるのかないのかわからなかったけれど、
でも、とにかく自分の足で、
今いるところからだれかが歩きだしていくのを、
見てみたかったのではないか。

(海まであとどのくらい?[女ともだち]、角田光代)

私たちは、
感動するような映画を見る、
本を読む、音楽を聴く…

それは、自分の心が、
自分の今の状況から
なんとか抜け出す、飛び出す、
そんな期待をもってのことだと思います。

オリンピック選手の戦う姿にも、
どこかしら、自分の姿を重ねて
見ているところがあるのも、
そういうことかもしれない。

とにかく、
なんとか抜け出したい。

そういう空気を、
自分が吸い込むために、
いろんな人のがんばっている姿、
苦悶している姿に共感しながら、
心のなかのどこかで、
きっと、自分を応援している。

今いる場所は、仮の場所。
自分には、もっと違う場所が、
必ず、どこかに用意されている。

そんな気持ちは、
嫌なことがあるたびに、
もたげてくる。

しばらくして、
ほとぼりが冷めると、
薄らいではくるけれど、

また時がくれば、
また湧いてくる。

そんな繰り返しから早く抜け出したいために、
人は誰かを応援しながら、自分を応援している。
そんな気がします。

がんばれ、みんな!
がんばれ、自分!

(参考)女ともだち

No.3566


モモ(ミヒャエル・エンデ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です