レンガの壁が
そこにあるのには、
理由がある。
僕たちの行く手を
阻むためにあるのではない。
その壁の向こうにある「何か」を
自分がどれほど真剣に望んでいるか、
証明するチャンスを与えているのだ。
(最後の授業 ぼくの命があるうちに、ランディ・パウシュ)
余命というものが、
私たちにはどれだけ
残されているのか
分からないのが普通だけれど、
老いの力とか、
病の進行具合で、
そういうことを知っている人もいる。
仮に、余命20年と宣言されたら、
41歳の私なら、けっこうあるな、
っていう気がしてしまう。
けれども、
9歳の娘だったら、
20年はある程度長いけれど、
そんなに長生きできないんだな、
って感じる。
それでも、
余命半年、余命1年に比べたら、
「生きる」ということを
よくよく考えて生きるのには、
十分に長いと言っていいだろう。
人それぞれの余命を賭けて、
今ぶち当たっている壁の先にあるものを
本当に欲しいのか。
病気とかにでもならない限り、
そういうことを考えるチャンスは、
なかなか巡ってこない。
だから、自分で考えるしかない。
壁にぶち当たったとき、
誰かの余命を知ったとき、
失敗したとき、などなど…
壁は、邪魔してるわけじゃない。
自分たちの本気度を試しているだけ。
ナットク、ナットク。
(参考)最後の授業 ぼくの命があるうちに(ランディ・パウシュ)
No.3885