一つの現実に、…

一つの現実に、
無数の現実が隠れている。

(妄想気分、小川洋子)

さきほど、
近くで地震があったらしく、
けっこうな揺れを感じた。

地震のあいだ、
天井を見ていると、
垂れ下がっている紐が、
大きく円を描いていた。

こりゃぁ、
もっと揺れるんだろうか…

もしもそうだとしたら、
ニュージーランド地震並みの被害が
どっかで起きるんじゃないか、
なんて考えたりしていた。

ニュースでは、
震度3とのこと。

地震の被害には、
天災と人災の2つが見えてきます。

誰のせいだ?

と言うことを論じたいときに、
政府でも何でも、
人間の責任にしてしまえば、
分かりやすい。

けれども、
そういう方向だけでは、
見えないことも出てくる。

やっぱり、
気づかされるのは、
人間って非力だなぁということ。
自然の前では、本当に、力弱い。

科学技術が発展し、
いろんなことが出来るようになった
と思われている、人間の現実も、

その根底にある自然の現実には、
かなわない。

人間は、傲慢になっちゃいけないな、
って気づかされます。

見えている現実は、
見えているだけのこと。
そこに隠されている、
あるいは死角になっている現実が、
ちゃんとある。

それは、
どうやっても
見えないかもしれないが、
そういうことが確かにある、
と知っておいたほうがいい。

自分が知っている現実がすべてで、
知るべき現実はすべて分かった、
という考え方は、きっと危ういから。

(参考)妄想気分(小川洋子)

No.4094

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