問題を把握できたときには、
問題の大半は解決している。
また、問題を解決したときには、
新たな問題が既に始まっている。
(議論の余地しかない A Space under Discussion、森博嗣)
どうして次から次へと
問題がやってくるんだ、
と思うんですが、
問題が消えるなんてことを
期待しちゃいけないんですよね。
問題があって当たり前、
それで成長していくことができる、
っていうのが幸せなんだ。
身内の人間との関係を見れば、
問題をこしらえる側と、
問題を解決する側と、
ハッキリ分かれているように思う。
幸か不幸か、
私ら夫婦は、
問題を解決する側。
問題をつくる側は、
ポコポコと、
もぐらのように
問題を浮かび上がらせてくる。
それを、最初は
イヤイヤながらも
向き合わざるを得ず、
バシンバシンと、
問題をたたきつぶす。
ああ、良かった、
と思えば、また別の人間が
問題をもってくる。
よくも、これほど、
タイミングよく
持ってくるもんだ、
と思わされる。
ある意味、感動だ。
涙が出てくる…
きっと、問題は、
いつもいつも、
そこにあるんだろうなぁ、
って考える。
それが、まったく同じタイミングで
来ることはほぼありえないから、
ちょっとズレている感じが、
次々に来ているように思えちゃうんでしょう。
次にくる問題は、
なんだろうか?
そんな気分で待てるようになるまで、
柔軟な人間になれたらいいのだが。
(参考)議論の余地しかない A Space under Discussion(森博嗣)
No.4175