むなしさや心の痛みは、
生きている証拠だ、
と思うようにしている。
(水滸伝 1 曙光の章、北方謙三)
自分はダメだな、
って思う時間は、
あまり好きじゃないとしても、
それが見えるっていうことは、
何かにチャレンジして
生きている証拠だと考えます。
もちろん、
何もしないでいる自分を
ダメだなって思うことも
あるでしょうけど、
そうでない限り、
何かに向き合おうとしている自分を
自分に教えてくれているんだと思う。
無理な願いというか、
無理な希望っていうのは、
何ひとつ、
痛みとか虚しさもなく、
生きていきたい
っていう思いでしょう。
それを自分で得ようとすることも、
それを他人に与えたいって思うことも、
無理な話だと考えます。
だから、
自分の大切な人や子供を
幸せにするために、
痛み、悲しみ、虚しさ、
すべてを取り除けてあげよう、
っていうのは、いいことじゃない。
そもそも、
できるわけがないから、
それをやろうとしているなかで、
痛み、悲しみ、虚しさを
味わうことが多いです。
取り除けようとしないで、
それらがあるのが人生だって
受け入れることが大切なんでしょう。
待てないといけない、
受け入れることも求められる、
それが人生です。
(参考)水滸伝 1 曙光の章(北方謙三)
No.4468