自分のさみしさ

あのね、
自分のさみしさにかまけてると、
さみしさはなくならないよ。

そういうときは
他人のために何かするんだ、
ボランティアでもアルバイトでも。
そうやって自分を
他人とシャッフルして忙しくする。

(ほぼ日手帳、谷川俊太郎質問箱)

我ながら、
おかしなことを
気にするもんだ、
と思うことがあります。

先日、魚屋さんの前で、
おいしそうな「ごまさば」が、
お手頃な値段で売っていた。

それも、
お客さんのニーズに合わせて、
いろいろ選べた。

お魚さんご本人2匹の皿、
それを3枚おろしにした皿、
切り身だけが3つ並んでいる皿、
切り身の半身6つ並んでいる皿…

ということに気づいたのは、

おいしそうに見えた、
切り身3つの皿を頼んでしまってから。

お魚屋さんはすでに、
それを袋に入れて
包んでくれている。

ああ、わが家は6人家族だ。
3つを買っていってから、
家で半分に切るなら、
最初から半身6つを頼めばよかったなぁ…

受け取ってからも、
しばらく、それを考えていた。

ほかのものを探しながらも、
ずーっとそれを考えている自分に、
「バカだなぁ」と思い始めても、
まだ気にしている。

半身にして焼いて食べ終えるまで、
気にしていたから、妙なものです。

気にしないためには、
どうしたらいいんだろう、
って考えてること自体が、
気にすることから
離れられなくなる原因だと思う。

そんなことを
考えなくていいような、
夢中になれるものがないと、

人間が気にすることから
離れるのは、無理な話なのだ。

(参考)できることをしよう。(糸井重里&ほぼ日刊イトイ新聞)

No.4569


道は開ける(ディール・カーネギー)

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