たとえ曲がりくねった歩みでも、
迷いどおしの足取りでも、
歩きつづけることに意味がある。
希望とは目的地ではなく、
歩くことそのものの中にあるのだ。
先は長い。休んでも、
歩くのをやめるわけにはいかない。
希望の大きなかたまりを一つ拾って
器が満杯になるなら話は早い。
でも、たった一つの希望でしか
満たされない世の中というのは、
なんだか怖くないだろうか?
小さな希望でいい。その代わり、
感動やよろこびや涙や微笑みなどに
姿を変えているはずの
希望のかけらを、たくさん。
さまざまな色や形のものを、こまめに。
(希望の地図、重松清)
大きな希望が、
その通りに叶って、
それからずーっと幸せに
暮らしましたとさ、
というエンディングだったら、
どんなにいいことか。
しかし、実際は、
いまが幸せであっても、
不幸のどん底であっても、
どんな展開になるか分からない、
「つづく」というエンディングしかない。
それぞれの時に、
拾えるだけの希望を拾うこと。
その時にやれる最善を
やってみること。
それが人生の仕事だと思う。
本書には、こんな言葉もあった。
「第一志望」の人生じゃないんだよ。…
みんな、思いどおりに
生きてるわけじゃない。
大げさに言えば運命に
翻弄されてるところもあるだろうし、
「なんで自分がこの立場に
いなきゃいけないんだよ」
って文句を言いたくなるとき
だってあったと思う。
第一志望にこだわる人生もある、
それを横に置いておいて、
いま拾える希望で、
次の目標に切り替える人生もある。
選ぶのは自分。
そして、どちらにも、
それぞれのチャンスと喜びがあるから、
大丈夫なのだ。
(参考)希望の地図(重松清)
No.5610