信じて裏切られたら、
それは自分に
裏切られたようなものだ、
と思うしかない。
(水滸伝 4 道蛇の章、北方謙三)
たいして信じてもいないのに、
「裏切られた」と騒ぐ人がいる。
とても信じていたのに、
ただ、じっと耐える人もいる。
裏切りっていう言葉は、
自分を被害者に見せるのに、
とても便利な言葉だと思う。
勝手に期待していて、
その通りならなかったから、
「裏切り」とも言える。
でも、場合によっては、
裏切らせているというか、
ウソをつかせていことも
あるように思う。
問い詰めれば、
きっとウソをつくだろう、
ってことを問い詰めているのだ。
そんな場合、
もう分かっているんだから、
本当は、問い詰めても
しょうがない。
そうさせている自分にだって、
責任があるかもしれない。
本当に大切な人に
裏切られらるってことは、
そういうことだと思う。
自分も、きっと共犯なのだ。
できれば、
いい意味で、
裏切る人でありたいもの。
逆に、
そういう人と
仲間でもいたいもの。
(参考)水滸伝 4 道蛇の章(北方謙三)
No.5628