あらゆる文字は、…

あらゆる文字は、
ラブレターとして読める。
人が書いて、人に伝える、
人が読みとる。
そこには、たいてい愛に似たものが、
ほんのちょっとにしても、あるものだ。

(ほぼ日手帳[セフティ・マッチ氏の焚火話])

誰に送るか、
ハッキリしている文書と、
それがあいまいな文書では、

それを読む人の心に
届く深みが違ってくる。

相手がハッキリ
見えてくればくるほど、
心に響くことも、
心を傷つけることも、
確実になりやすい。

わたし自身、
相手のハッキリしない文章を
書いているような時があるけど、

それは、おそらく、
自分に向けて書いているんじゃないか、
と思う。

本当の自分に書いているか、
まわりに見せてる自分に書いているか、
その違いはあるかもしれない。

だとしても、
そういう自分にすら届かない、
上っ面の文章は、
あんまり意味ないだろうなぁ。

読む人に届くように、
あらゆる人へ、
というのは無理だろうけど、

どこかにいる、
自分に似た人に、
ちょっとでも役立つように
書いている感じ…?

少なくとも、
自分が書いたものを、
最初に読んでいるのは、
自分なわけだから、

自己陶酔、自己満足っぽいかもしれいが、
自分の心に届くことも、大切かもな。

(参考)ボールのようなことば。(糸井重里)

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