一生の終わりに残るものは、
我々が集めたものでなく、
我々が与えたものだ。
(置かれた場所で咲きなさい、渡辺和子)
漫画や本でも、
食器や日用品でも、
そろえ始めると、
一つでも欠けているうちは、
なんだかスッキリしない。
何としてでも、どこまでも
集めたくなるのが人間だ。
その集めたものの価値について、
まわりの人たちが理解できれば、
残してもらうのは意味があるだろう。
集めた人が亡くなっても、
「集めた」というカタチで、
その人の気持ちも「伝わる」。
人は、
カタチあるもので、
伝えることもできれば、
カタチなど何もないもので、
伝えることもできる。
そして、
伝えるつもりがなくても、
伝わっていくこともある。
何も残さないことで
「この人はケチだった」
という印象が残ることもあるだろうから。
何を集めて、
何を与えるか。
あるいは、最初から、
誰かに与えるために
何を集めるか。
与えることを
ちょっとでも考えて、
生きていると、
人生は違ってくるように思う。
(参考) 置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)
No.5731