口にした何かを美味しい、
と思うことが出来れば、
ひとはきっと生きていける。
(夏天の虹、高田郁)
この店の方がおいしい、
と比べるように、
わが家の味の方がおいしい、
というふうに思えたら、
一番幸せなことだけれど、
みんながみんな、
そういう環境ではないだろう。
わが家の、
おいしい味に慣れると、
ほかで食べる味に
厳しくなるかもしれない。
けれど、
わが家のおいしさを
実感できるという意味では、
悪くない。
一方、
わが家の味が
それほどじゃない場合は、
ほかで食べるものが、
けっこうおいしい
と思えたりするから、
それはそれで、
いいんじゃないかと思う。
おいしいと思えるには、
ある程度の「飢え」がないと
難しいわけだから、
その時点では幸せなことだと思う。
だから、たとえば、
外食での美食に慣れすぎて、
「飢え」が感じられず、
おいしいと思えないのは、
その、ささやかな幸せを
味わえないわけで、
ちょっともったい。
おいしいと思えるのは、
幸せなことなんだ。
(参考)夏天の虹(高田郁)
No.5806