きっとどこかにいるんだと思う。
ああなってほしいとか
こうなってもらいたいとか望まずに、
ありのまま…を受け入れてくれる人が。
そのままでいいよ、
って黙って見守ってくれる人が。
(64、横山秀夫)
きびしいことを
言ってくる人が、
世の中にはいる。
もちろん、
やさしい人もいる。
きびしい人は言う、
「世の中、きびしいんだから」と。
それをかばう人も言う、
「そういうきびしいことを
言う人もいるから、
今は経験だと思ってがんばって」と。
やさしい人だったら、
「たいへんだったね、
そんなこと言われて…」
みたいなことを言うんだろうか。
人は、何かを助言をするときに、
どこかに自分の判断が入ってしまう。
受け入れるというのは、
いいことを助言してやろうとか、
やさしいことを言ってあげようとか、
話を盛り上げようとか、
そういうことじゃないと思う。
受け入れるっていうのは、
こっちの判断を入れないこと。
だから、難しい。
人間が見ているのは、
いつも自分の目を通してだから、
何を見たって、聞いたって、
自分の判断を入れないというのは、
容易なことじゃないのだ。
もしかしたら、
見すぎても、
聞き入りすぎても、
いけないんじゃないか、
と思ったりもする。
(参考)64(横山秀夫)
No.5831