「世間」は…

「世間」は
具体的な人間のことではない。
「世間」は、
あくまでも私たちの頭のなかに
かたちづくられた共同の観念、
つまり一種の共同幻想なのである。

人びとの頭のなかに
やどる観念であるために、
ひとによって「世間」が狭かったり、
「世間」が広かったりするわけなのだ。

(世間の目、佐藤 直樹)

私たち日本人は、
世間の反応をこの上なく、
怖れるところがある。

世間なんて
どうでもいいんだよ、
と言っている人でさえ、

そういう世間を意識して、
「世間なんて」と
言葉にしてしまうほど、
世間を怖れ嫌っている。

本著には、こんな言葉もある。

「日本語という言葉によって
 規定された日本人の思考は、
 日本語という言葉を
 つかうことをやめないかぎり
 変わることがない。」

世間という言葉を
使うか使わないかの問題でなく、
そういう言葉が存在する日本語で
ものごとを考え、しゃべっている限り、
世間の影響を受けずにはいられない。

本当に、世間と関わりたくないなら、
きっと、日本語から遠ざかるしかないだろう。

世間という日本語を、
他の言語になんとか訳することは出来ても、
元々そういう考え方がない言語である限り、
やはり、それは存在しないようなものだから。

世間は、
私たちの頭の中のこと。
世間は、
日本語の中にあること。

そんなふうに、
ちょっと自分と世間との距離を、
冷静に考えられたら、
楽になれるかな。

(参考)世間の目(佐藤 直樹)

No.5843

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