共有できる経験を持ってるって、…

共有できる経験を持ってるって、
友達になるのにとても
大切なことだと思うんです。

(百年法 上、山田宗樹)

腰が痛いと言えば、
腰が痛い人と友達に
なれるかもしれない。

腰なんて痛くない、
ピンピンしていて元気だ、
なんて言ってると、
腰が痛い人は遠ざかっていく
かもしれない。

ただ、腰の痛い人同士が
寄りそって集まれば、
「私の方が痛い」
「そんなことない、
 あんたなんてたいしたことない、
 私の方こそ痛い」
とか口論になるかもしれない。

同じ痛みとか、境遇で、
友達になるパターンというのは、
いいこともあれば、悪いことも
あるんだろう。

同じ30歳が、
「私は独身だ」
「私は結婚して子供が2人いる」
と言えば、それだけで
溝ができそうな空気さえ感じる。

それは、やっぱり、
共有できるような「時間」が、
どこにも見当たらない気がするからだろう。

万が一、立場の違いはあっても、
「母親の介護、大変だった」
とか共有できる経験があれば、
また変わってくるから、
人間というのは、どこまでも、
類は友を呼ぶ、ということなんだろう。

(参考)百年法 上(山田宗樹)

No.7155

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