一緒にご飯を食べる、
その時間さえあれば、
悲しいことも乗り越えられる。
(あつあつを召し上がれ、小川糸)
食事をしている自分の姿を見せる、
というのは、人によっては、
けっこう勇気のいることのようです。
食べている時には、
食べていることに集中して
会話なんかしたくない、
という人もいます。
幼い頃に、食事の時間が
説教やら家族ゲンカやらで
落ち着くことがなかったために、
誰かといっしょに食べることが
苦痛の人もいるかもしれません。
理想的な食事の時間、
というものがあるとすれば、
それは、人それぞれのように
思われます。
行為から言えば、
単なる「体のエネルギー補給」。
けれども、補給は補給でも、
人の空気とか、言葉のやりとりとか、
そういう補給にもなっている場合も。
見ず知らずの人間同士が、
違うテーブルに座って、
特に会話するわけでなくても、
同じ店の同じメニューを食べている
っていうのも、何かしらのつながりを
感じさせることもあるように思います。
(参考)あつあつを召し上がれ(小川糸)
No.7405