自分が見たいものだけ見る。
自分が信じたいことだけ信じる。
統計的な事実は
そこで、まったくの無力だ。
(虐殺器官、伊藤計劃)
雪国では、現実の天候に
一喜一憂することもさることながら、
天気予報にも、
心が重くなったり、軽くなったりする時期。
たかが天気予報、されど天気予報。
過去の事実、統計、確率を無視して、
自分の信念だけでは変わらない部分もある。
それが、統計とか、確率というものだべな。
宝くじ、ギャンブルの確率というのも、
信念だけでどうにかなっているとは思えないが、
どうにかなると信じて買うのが、人というもの。
いい意味でも、悪い意味でも、
信じたいことが、人の行動を生む。
あとは、信じる価値があったかどうか。
しかし、その価値すら、信じ方次第かな。