人間(自分)よりも優れた力が存在することを認めても…

人間(自分)よりも優れた力が
存在することを認めても、
決して人間(自分)の価値が
低くなるわけではありません。

(エズラ・タフト・ベンソン)

人をほめることが、
難しい時がある。

それは、その価値を比較している時…
私も、例外でない。

野球をしていた小学生の頃、私は、
監督のおかげで、
スコア付けに、妙にハマっていた。
(正直に言うと、本業の野球が下手だった…)

ある時、地元の草野球大会があって、
大人達の姿を見ていた私。
偶然、ベンチに入れてもらっていたところ、
スコア付けに苦慮している近所のおじさんを見つけ、
「僕がやってあげるよ。」と出しゃばる。

近所のおじさんにほめられながら、
楽しくスコアをつけ、いい気分に浸っていると、
同級生のお父さんが来て、
「子どもにやらせるな。間違うかもしれない。」と言い、
スコアをとられてしまった。私とみんなは、あ然…

子供心に、この人は、
自分の子供と私、自分自身と私を
比較してしまったんだろう、と思った。

人間は、比較さえしなければ、
自分より優れた存在があることに
不快な思いはしない。

仮に、比較したとしても、
比較の仕方が誤っていなければ、
それを目標にしたり、
それに頼り、学ぶことだって出来る。

自分より優れた存在を認めることは、
生き方の選択を広げることかもしれない、
冷静な時には、そう思える自分がいる。

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