教えるべきときとそうでないときがある。
(スティーブン・R・コヴィ)
教えるべき時は、
明らかにわかると思う。
相手が好奇心や興味を持っている時がそれだ。
しかし、人は誤ってしまうことがある。
相手の好奇心や興味が
いつまでも続くと思って、
「また、今度ね。」「そのうちに…」
と延ばしてしまう。
教えるべきでない時は、
どうだろう…?
理解の力がまだ弱いとき、
精神的に余裕がなくなっているとき、
双方に信頼関係がないとき、
が、それだろう。
教える側は、そういう相手の状況を
見極めて、対応する知恵が必要だと思う。
もし、そういう様子が見えているのに、
何の工夫もなしに続けることは、
時間のムダになってしまう可能性も多い。
私は、何かしら教える立場になった時に、
そういう様子を見て、準備するようにしている。
教える内容に、どれだけの難易度があって、
どの程度のボリュームがあるか、
それに耐えられるかを確認するのだ。
娘が幼いころ、注射をする前に、
「痛い?」と聞かれた。
「うん、痛い。少しの間だけ。」
そうすれば、子どもは、目をつむるなり、
顔をそむけるなりして、
痛みを学ぶ心構えをしていたもの。
そうやって、時には、
必要な痛みと、それを耐えた時の良い結果を、
学んだことだろうと思う。