健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。

健康な人には医者はいらない。
いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、
罪人を招いて悔い改めさせるためである。

(キリスト、新約聖書ルカ5:31-32)

この言葉は、当たり前すぎる言葉に思えますが、
私たちが時々陥るミスを
うまく表現しているように思います。

つまり、
「病気が治ったら、病院に行く」
「時間が出来たら、いい本を読む」
「もっと愛せるようになったら、話し合う」
そんな解決方法を時折、選んでいる私たちがいます。

病院に行くのは、病気を治すためであって、
いい本を読むのは、時間や自分をつくるため、
そして、話し合うのは、もっと愛せるようになるため。

その逆を期待していると、
なかなか、前には進めないはずです。

そして、誰しもが、
人生における何らかの解決策を
探し求めているのですが、

何か新しいもの、優れたものにふれる際、
こんなことを言う人を見かけます。
「私には、とても、とても…」

謙虚か、遠慮か、分かりませんが、
もし、本当はそれを求めているのに、
そういう言葉ばかりを言うのであれば、
目標は、遠のくでしょう。

それは、まるで、
自分で病院に行っておきながら、
「私には治していただく資格はありません。」
と言っているようなものです。

治りたいか、治りたくないか、
自分を変えたいか、変えたくないか、
本質は、それだけだと思います。多分…

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