「どうして、誰も何もしないんだろう?」
そう思っていた。
あとで、その理由が分かった。
私も、その「何もしない誰も」に入っていたから…
(リリー・トムリン)
不平や不満というのは、普通、自分以外の人に対して言いやすいものです。私もそうです。しかし、よくよく考えてみると、その不平や不満の対象となる人たちの中に、自分も「傍観者」として加わっている場合があるのです。
誰も何もしない、誰も助けてくれない、誰も理解してくれない…その「誰も」という存在は微妙です。「自分がしなくて、誰がする。」不平や不満を言う暇があったら、自分でやっちゃうか、そこから離れてしまえばいいかもしれません。
“I wonder why somebody didn’t do something. Then I realized that I am somebody.”
原文はこのような英語です。
そもそも、微妙な存在である誰か(somebody)に期待したり、誰か(somebody)に責任を負わせること自体が的外れなのかもしれません。