人は、物事がうまく進まない時、「誰も動かない」「誰も助けてくれない」と感じることがあります。私自身も、状況が停滞しているように見えると、つい周囲の人を責めたくなることがあります。しかし、冷静に振り返ると、その「誰も」の中に自分自身が含まれていることに気づく瞬間があります。
不平や不満は、他者に向けて語りやすいものです。けれど、自分がその場で何もしていなかったなら、その不満は本来、自分にも向けられるべきものです。「誰も助けてくれない」「誰も理解してくれない」という言葉は、実はとてもあいまいで、責任の所在をぼかしてしまいます。
この「誰かが動くべきだ」という感覚を考えるうえで、ある俳優の一行が示唆を与えてくれます。
引用:
「どうして、誰も何もしないんだろう?…
私も、その“何もしない誰も”に入っていた。」
(リリー・トムリン『I Am Somebody』)
本文で述べた「誰も動かないと感じる時、自分もその一人である」という主張を象徴的に示す一行であり、論旨を補強するために必要最小限の引用として採用しています。
原文の英語はこうです。 「I wonder why somebody didn’t do something. Then I realized that I am somebody.」 この言葉は、他者に期待する前に、自分が一歩動くことの大切さを静かに教えてくれます。
不満を言う時間があるなら、自分で行動するか、その場から離れるという選択もできます。自分が動けば、状況が変わることがあります。そして、動いた自分自身が、“誰か”ではなく“自分”として生きている実感を得られます。
他者に期待するより、自分が一歩踏み出す。その姿勢が、人生の停滞を少しずつ解きほぐしていくのだと思います。