消費

映画を作られるかもしれない。上々の出来なら、二時間後には彼らは涙を流して我々の悲劇に同情を寄せるだろう。だがそれは本当に悲しんでいるのではなく、悲劇を消費しているのだと考えたことはないか?飽きられる前に次の悲劇を供給しなければならないと考えたことは?

(王とサーカス、米澤穂信)