多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。

多くの先の者はあとになり、
あとの者は先になるであろう。

(新約聖書 マルコ10:31)

これは、ただ、
先の者が滅びて、
あとの者が栄えていく、
という意味だけではないだろうと思う。

「平家物語」の冒頭に、こんな言葉がある。

「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。
 娑羅双樹の花の色、

 盛者必衰の理をあらわす。
 おごれる人も久しからず。
 唯春の夜の夢のごとし。
 たけき者も遂にはほろびぬ。
 ひとえに風の前の塵に同じ。」

栄えた者は、必ず衰える…
風の前の塵に同じ…
何か、寂しいような、
順番待ちみたいに思われる。

けれども、
「あとの者」が先になる時代には、
「先の者」が、「あとの者」になるわけで、
長い目で見ると、
また、「あとの者は先になる」ことがある
かもしれない。

息の長いアーティストが思い浮かぶ。

彼らは、「あとの者」になった時代においても、
何かしらの発見をしながら、
また、新たな世界を提案していると思う。
もしくは、古いものの「新しい切り口」…

決して、同じ土俵で
戦おうとはしているわけではない。


人生の短さについて(セネカ)

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