…もし。なんと空しい二文字であろう。…

もし、…していたなら。
もし、…さえしなかったなら。
もし。なんと空しい二文字であろう。

未来は粘土のようなものだ。
日に日に形造られていく。

しかし、過去は岩である。
変えることはできない。

(ゲームの達人、シドニィ・シェルダン)

変えようのないものに、
「もし」を投げかけていると、
癖になる。
抜け出せなくなるから…

手を加えて変えられる時間は、
いつも、今この瞬間より後に来る。

そんなことは分かっているのに、
やっぱり、
「もし、…だったら」って思いが
もたげてくるのをやめるのは、
難しかったりする。

失ってみなければ、
あるいは逃してみなければ、
その重みが分からない
人間の性(さが)なんでしょう。

あるいは、手元に新しいものが
残っているというのに、
欲張りなのか…

過去と未来が交わる今というこの時間。
そのストレスは、そう簡単に
なくなりそうにありません。

精一杯生きている充実感、
人の心と深く交わっている安心感、
それなしには、
叶えられないことなんでしょう…

【参考】
起死回生(トム・ピーターズ)

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