無縁なんかより 縁がありすぎるほうが…

無縁なんかより
縁がありすぎるほうが
厄介なのです。

(さよなら絶望先生、久米田康治)

かむらさんからの投稿です。

「分かる気がします。
 縁がありすぎたら、
 やっぱりその分、
 自分のやりたいことも
 出来なくなってしまう。」

やりたいことをするのが、
それほども大切か。
という問いかけも
あるかもしれません。

人との縁(つながり)、
自分のやりたいこと。
この2つは、いつも
私たちを板ばさみします。

人とのつながりを無視して、
自分のやりたいようにやれば、
どこかで反発を喰らったり、
ギクシャクしてくる。

けれど、
自分のやりたいことをがまんして、
人とのつながりだけに気遣っていると、
生きるのが息苦しくなる。

重荷にならない程度の縁なんて、
多分、どこにもないでしょう。

誰も彼も、少しは、
何かのしがらみを持っている。

そういう縁、しがらみを
すでにもっているんだから、
何かの見栄や一時の利益のために、
それを増やしすぎてしまっては
大切な縁さえ遠ざけることに
なるかもしれない。

出会って間もなく、
それが良い縁かどうかも、
判断しかねますからね。

そんなことが分かるんだったら、
世の中には離婚すらないでしょう。

無縁でいることも、
なかなか難しい気がします。

いろんな縁で、人を見る目を
養う以外に方法はありませんね。

(参考)さよなら絶望先生(久米田康治)


道は開ける(ディール・カーネギー)

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