人になにかを
してもらいたいと思えば、
こちらからなにかをしてあげる。
人に愛されたいのなら、
こちらか愛する。
人を従わせたいのなら、
まず、人に従ってみる。
(重耳、宮城谷昌光)
私を仕事に巻き込みたい人から、
「うちは、こういうことを
無償でやっているから、あんたも、
そこら辺を協力してくれねぇか。」
みたいなことを言われる時がある。
誘い方としては、
うまいと言えば、うまい。
無償、ボランティアという精神を盾に、
美しき精神に賛同してくれ、
あんたはいい人だろ、
みたいな感じだから。
しかし、なんで、その人が
それを無償でやらなければ
いけなくなったのか、
という背景を考えれば、
お金とは関係ないとしても、
その人自身のためであることに
変わりないこともある。
お金になるビジネスでも、
美しき精神の活動にしても、
人に何かをさせたいのなら、
相手に、その理由をハッキリ
見えるようにしなくちゃねぇ。
自分の利益を隠していては、
人に信用されない。最後には、
誰もついてこない。
逆に、自分は、
「自分のためにやってるんだ。」
っていう裏表ない行動の方が、
分かりやすくていい。
あとは、それを見た人々が、
好きか、嫌いか判断すれば
いいだけだから。
何かやってもらいたいなから、
相手が欲しい情報を見せよう。
それが愛か、意欲か、知恵か、
それ以外のものかは、
相手の価値観次第なのだ。