人は、誰かを支えている時には、…

人は、誰かを支えている時には、
自分のことばかり考えるけれど、
実は相手から
どれだけ恵みをもらっているかは、
気づかないものだよ。

(石井亮一)

あいさんからの投稿です。
「やってあげているという考えから、
 自分もその人の世話をさせてもらうことで
 何かを学んだり、得たりしている
 という考えにシフトできたら、
 きついことばかりの看護師の仕事も
 案外楽しめるのかもしれない。」

石井亮一さんは、明治24年に、
日本で初めての
知的障害者福祉施設である学園を
創設した方のようです。

一方、彼の妻・筆子さんは、
華族の令嬢として才色兼備であり、
華やかな少女期を過ごした人ですが、
病気で亡くなる前夫との間に
生まれた3人の娘たちは、
すべて虚弱児でした。

どのような苦しみ、経験から
この言葉が生まれたかは
想像を超えます。

誰かを支えているという経験、
言いかえれば、

自分よりも病んでいる、
足りないことがある、
または不自由そうな人を
助けるというのは、

自分には見えていない
「自分の病んでいるところ」
「自分の不足しているところ」
「自分の不自由なところ」
が見えるようにしてくれます。

場合によっては、それを
心の不自由と呼んでいいかもしれない。
それがあることで、
不器用な生き方になったり、
困難なことに出会っている…

誰かを支えることで、
自分は大丈夫と思っていたおごりが、
実は違うんだ、と気づかせてもらえる。
育児も、介護も、あれも、これも、
いい経験なんですね。

嬉しいやら、悲しいやら、
気が重いやらで、涙が出てきます…笑

ボランティアから学べることにも
共通点がありそうです。

「実際にボランティアに
 楽しさを見いだした人は、
 ほとんど
 『助けられているのはむしろ私の方だ』
 という感想を持つ。」
 (ボランティア、金子郁容)

(参考)苦しみの中でも幸せは見つかる(小沢 竹俊)


こころの処方箋(河合 隼雄)

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