病気でも障がいでもなんでも、…

病気でも障がいでもなんでも、
それを含めての自分なんだって
いうことを、まわりが受け入れて、
理解するように努めてくれたら、
本当に嬉しいよね。

なにより、
自分自身を受け入れるところから、
「治療」が始まる気がするな。

(宇多田ヒカルブログ)

受け入れてもらいたい、
という気持ちが強まるのは、

きっと、自分が自分を
受け入れていないから
かもしれない。

他人に受けれいてもらえれば、
自分も自分を受け入れられる、
という条件付きでは、
きっと、自分が苦しくなる。

他人に受け入れられようが、
そうでなかろうが、
自分の方は無条件に
自分を受け入れなくては、
何も始まらない。

それは、自分を甘やかす、
っていうことでなく、

自分のスタート地点を
確かめるという意味で。

何を変えるにも、
何を治すにも、
スタート地点が分からないでは、
どうしようもないでしょう。

個性として認めれば、
それだけで済んで、
治さなくていいものを
治してもしょうがないわけですし。

それは、他人についても、
同じことが言えると思うんです。

言ってもしょうがないことも、
言わなくなるためにも…

宇多田さん、いいこと言います。

(参考)HEART STATION (宇多田ヒカル)

No.2490

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