何かのきっかけで、自分が心の自由を…

何かのきっかけで、自分が
心の自由を奪われて
いたことに気づいたとき、

初めて自分自身もまた、
無知なるままに、
身近にいる大切な人を、
同じように縛りつけていた
と気づくのです。

(家族狩り、天童荒太)

自分が自由気ままに
生きていられるうちは、

他人の不自由に
なかなか気づけない。
鈍感なもんです。

けれど、
自分がちょっとでも
自分の不自由を実感すると、

もしかして…という具合に、
やっと、自分以外の
他人の立場が見えてきて、
束縛していたかもしれない、
とちょっと考え始める。

他人に対して
ストレスを感じたときも、
同じように、自分が
ストレスを与えていたことに
気づくかもしれない。

申し訳ないくらい、
勝手な話なんですが、
そういう方法でしか
気づけない、
私みたいな人間もいます。

そして、その気づきも、
自分が自由になると、
とたんに忘れてしまう。(笑)

それでも、
不自由があるのは、
自由のありがたみを
分かるためと思えば、

迷惑な人の存在意義も、
ちょっとは受け入れられる気がします。

どこかに、
ちょうどいい自由は、
ないものかなぁ。

(参考) 家族狩り(天童荒太)

No.3992


モモ(ミヒャエル・エンデ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です