他人の道が誤っていること…

自分の道に確信を抱くために、
他人の道が誤っていることを
証明する必要などない。

そのようなことをする人は、
自分自身の歩みに
自信を持てない人なのだ。

(マクトゥーブ 賢者の教え、パウロ・コエーリョ)

他人の道、意見が
間違っていると一生懸命
証明しても、しょうがない。
そんなことに時間を費やすくらいなら、
自分の道をもっと究めたほうがいいのだ。

なんてことを言っている私も、
自分の意見と違うものとか、
反対っぽい意見に出くわすと、
うろたえてしまって、

なんとか自分の足場を
固めるために、
その意見のダメなところを
探そうとか、説明しようとか、
無意識に心が動いている時がある。

なんでしょうね…あれは。

心が勝手に、
その存在を知っただけで、
自分が否定されたような、
攻撃されたような気分になって、

防衛反応を示している、
っていうことなのでしょうか。
そんな気がします。

ある意味、
被害妄想なのでしょう。

違う意見が存在するだけで、
だれも、自分のことは責めていない。

仮に、責めていたとしても、
それに気づかなければ、
人の心というのは、
平安でいられるのです。

いずれにしろ、
他人の道を否定しても、
自分が正しいと証明できるわけじゃない。

今正しそうに見せられるにすぎない。
本当に、正しさを示したいなら、
そんな行動には出ないで、
自分の道に専念すればいいのだ。
政治家じゃないんだから…

(参考)マクトゥーブ 賢者の教え(パウロ・コエーリョ)

No.4320


置かれた場所で咲きなさい(渡辺 和子)

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